歎異抄のテーマは善人と悪人。
なぜ「なぜ善人よりも悪人なのか?」このような質問をいただいたので簡単に答えます。
歎異抄で言われている善人とは…「自分が悪人であることに、まだ気がついていない人」の事を言います。
『光に向かって100の花束』という本から「悪人ばかりだとケンカにならない」というお話を紹介しましょう。
ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私のA家はケンカが絶えず困っております。B家のお宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい。」
てっきり皮肉られているのだと、B家の主人は激怒して、「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも割ったようである。
「お母さん、申し訳ありませんでした。私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください。」
心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをいたしました。」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」
A家の主人は感心して帰ったという。
謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり