「悠久の孤独」
小説や映画が描こうとする大きなテーマの中一つは「人と人の絆(きずな)」ですね。
今話題の『万引き家族』ならば、
「家族の絆ってなんだろう……」
なぜ、私たちは「絆」を強く求めるのか。
それはすべての人間が「底知れぬ孤独」抱えているからに他なりません。
だから絆というテーマを描き切った名作は、そのまま古今東西変わらぬ人間の姿である「底知れぬ孤独」を描き切った作品とも言えるでしょう。
そしてこの「底知れぬ孤独」は生まれた時に始まったのではなく悠久の過去からの孤独、「悠久の孤独」のようです。
『歎異抄』1章の「摂取不捨の利益」とは、
「悠久の孤独に泣いてきた私を弥陀はガチッと抱きしめて永遠に離されることはない。その時、同時に悠久の過去からの弥陀の熟慮がただ私一人のためであったと知らされたのだよ」
と親鸞さまは言われています。
「弥陀の五劫思惟の願を
よくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり」(後序)
~弥陀が五劫という永い間、
熟慮に熟慮を重ねて
お誓いなされた本願を、
よくよく思い知らされれば、
まったく親鸞一人のためだった~
Pondering the Vow of Amida,
which rose from five kalpasof contemplation,
I realize it was entirely for me, Shinran alone.
~古き良き日本の心 仏教を復興したい~
~名文『歎異抄』を世界中の人に知って欲しい~